【労働体験】お金欲しさに工場派遣バイトで働いてみた結果

体験記

私は現在正社員として働いておりますが、時を遡ること今から10年近く前大学卒業後の1年間は就職せずにプーをしていました。プー期間中に何とか翌年四月からの就職が決まり、働き始めるまでの期間にたくさんの時間があったので、お金を貯めて留学や海外旅行に行きたいと思い立ち、手っ取り早く稼げる工場派遣のバイトを応募しました。

時給は当時1500円程で平日は10時間近く肉体労働の毎日でした。何の経験知識もなく単純計算で毎月30万円近くを稼げちゃうという夢のようなバイトです。

今回はそんな手っ取り早く稼げる工場派遣のバイトとはどんなものなのかを紹介したいと思います。

1日の流れ

辛い朝の時間

工場への通勤のためのシャトルバスが朝早く6時半に最寄駅発から出ていました。毎朝この時間から出るバスに乗るのが本当に苦痛でした。朝は5時に起き、朝の身支度をしつつ、自分の弁当をぱっぱっと作りそのままバスが待つ停留所へ向かいます。バスに乗り込むと朝なのに全員疲れ切った死人のような顔が並んでいて、そのどよんとした雰囲気のまま仕事場の工場へと出発します。

バスが工場へ到着するとバスの座席からだるい体を起こして、そのまま作業着を着るためにロッカールームへ向かいます。汚れがいっぱいべっとりと付いた作業着へ着替え終わったら労働場所で始業開始まで待機します。

始業開始よりも少し前にラジオ体操の音楽がなり、皆死んだ目をしながらリズムに合わせて体操をします。しかし、このラジオ体操が意外と寝ぼけた体には効果抜群で体操が終わる頃には眠気が覚めて働くスイッチに切り替わってくれます。

毎朝こんな感じで工場勤務の一日が始まります。

単調仕事の連続

働いていた工場は金属パーツを塗装するのが主な事業でした。私は重たい金属パーツを機械が塗装しやすいようにベルトコンベアに吊るされたフックにひたすら引っ掛ける作業を行なっていました。

ベルトコンベアに吊るされたフックはどんどんと流れてくるので、労働時間中は休む暇もなくひたすらケースに入った金属パーツを取り出してフックに引っ掛けることを繰り返すだけです。頭を使わないで済みますが、単調な仕事ゆえ体は疲れるけれども、同じことの繰り返しでどんどん頭がおかしくなってきます。

仕事中はいかに頭の中で自分の世界を作って別のことを想像するかどうかが問われてきます。私は労働時間中はお金が貯まった後に計画していた留学や海外旅行の妄想をすることで時間を費やすばかりでした。そうでもしないととてもじゃないと続けられません。

昼休みの過ごし方

お昼休憩は食堂で弁当が出ていましたが、お金がかかるので、私はどんなに辛い朝だとしても弁当を作って持参していました。

食堂では持参した弁当を食べ、食べ終わったらすぐになるべく1人になれる空間へ行っていました。

というのも、工場派遣や期間工で働く方々とは話が合わず、会話の話題はお酒、女、ギャンブルとよく言われていますが、まさしくそれを絵に描いた餅のように体現する人たちで溢れかえっていました。私は話しかけられたら適当に話を合わせたりはしますが、なるべく会話には加わらず昼休みは音楽を聴いたりネットサーフィンをして時間潰していました。たまにロッカールームにふらっと立ち寄ると昼寝をしている人かケータイで当時流行っていたモバゲーを一心不乱にやっている人かのどっちかしかいません。モバゲーは今でいうスマホゲーに夢中になっている人とあまり変わらなそうですね。

こうやって1人の時間を楽しんだり、他の期間工の人間観察をしたりして毎日の昼休みの1時間を過ごしていました。

就業終了

朝から晩まで昼休みを除き毎日10時間近くの労働を続けていると終わり間際はいつもクタクタになります。なんたって、一個1kg〜3kgの金属パーツをひたすらフックにかけ続けなければならない激務に追われているから。そりゃ仕事終わりはお疲れモードになっちゃいますよね。

就業時間になるとロッカールームにはくたびれたむさい男たちが大勢押し寄せ、私服に着替える。その間もロッカールームでの話題は酒、女、ギャンブルが中心でした。

自分は早く家に帰りたかったので、そんな話題には加わらず早々にロッカールームを後にして帰りのバスに乗り込みました。バスが出発するまではクタクタになった体を座席に預け、そのまま軽く眠りにつく日も数えないくらいありました。バスが最寄駅に到着するのと同時に目を覚まし、家へと帰宅するのでした。

工場バイトで得られた思わぬ収穫

とまぁ以上のような生活を4ヶ月間、朝から晩までの流れを平日は毎日行なっていました。

今までまともに筋トレすらやったことのない体だったので、重たい金属パーツの上げ下げを行うことに対して最初は苦痛でしかなく、毎日体はボロボロでした。

しかし、この重たい金属パーツを持つという動作が度重なると自然と筋トレにも繋がっていたようで、派遣労働開始から1ヶ月もすると体が筋肉質に徐々に変化してきていたのです。

2ヶ月目以降になると金属パーツを上げ下げすることもあまり苦痛に感じることもなく、筋肉質な自分に少し自信を持つようにもなっていました。自然と筋肉が付いたことは期間工をやっていて、お金を稼ぐ以外で得られた唯一のメリットでもあります。

ちなみに今ではほとんどデスクワークなので悲しいことにそんな筋肉はどこにも残っていません。

男性からのセクハラ被害

しかし、お金や筋肉といった嬉しいメリットばかりでもなかったのがこの私が働いていた労働環境でした。

働いていた職場では力仕事という性質もあったので、男性と女性の比率が99:1の比率で女性が圧倒的に少なかったのです。そんな職場だからかは分からないですが、中には変な男性もいました。

労働開始から1ヶ月ほど経った頃、気さくな兄ちゃんという雰囲気で私に馴れ馴れしく話しかけてきた男性がいました。彼は工場のとあるラインを取り仕切っているライン長です。別のラインで働いているにも関わらず気さくに話かけてくるようになってしばらく経ってのこと私のお尻をスリッと触ってくるではありませんか。最初は何をされたのかはわからなかったですが、お尻を触られた後にその男性の顔を見るとニコニコしています。その場では私は笑ってやり過ごしていると次第にエスカレートしていき、週に一回程度は必ずお尻を触られるように・・・そして、ひどい時には屈伸のようなポーズを私がとっているときにお尻の穴付近を触られたこともありました。大金を得られるまでは辞めるつもりはなかったので、このセクハラ男からの屈辱に2ヶ月ほど耐えに耐えました。

そして、任期満了でその工場派遣を辞める直前に派遣元の会社にセクハラ被害に遭っていると報告し、勤務中は派遣元からは勤務工場には報告せずに派遣元と工場側で私が辞めてから話し合ってもらうことになったのです。しばらく経って話し合いの結果が派遣元から連絡がありましたが、特に慰謝料も発生せず、当時そのセクハラ男から無理やり聞き出された私の連絡先だけは工場側からの要請で男のアドレス帳から削除してもらうことだけはできました。

男性から女性へのセクハラ被害であれば大問題に発展する内容だと思うんですが、当時の社会では男性のセクハラ被害は軽く見られる傾向があったようで泣き寝入りとなってしまうこととなったのでした。

今は多少男性から男性へのセクハラも何かしらのペナルティがある世の中になっているといいのですが…

最後に

ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

今回は私が派遣バイトとして働いていた工場バイトの体験記を紹介しました。
工場での派遣バイトは期間工よろしくかなり稼げると思います。私も当時は4ヶ月だけで100万近いお金を稼ぐことができました。

しかし、お金を得られる代わりに毎日の長時間労働と肉体的疲労はとても精神的にも肉体的にも応えたのは覚えています。20代だからできたのであって、今の30代ではとてもあんな過酷な環境では働けないと思います。

工場バイトで働いてたくさんのお金を稼ぎたい!けど実際どうなんだろう?と思っている方の参考になれば幸いです。

それでは、また。

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